三国時代の知識人層である「名士」層は、儒教を中核とする文化的諸価値を専有することにより、当該時代に社会的な権威を有していた。これに対して、曹操は新たな文化価値として「文学」を政治的に宣揚することにより、これに対抗したが、後継者問題および蜀漢・孫呉政権の残存、「名士」層の強固な仲間意識のために、それを貫徹することはできなかった。両者の妥協の中から九品中正制度が形成され、西晋時代に貴族制が成立するのである。
『東洋史研究』54-3,1995年12月,25~56頁