赤壁の戦いに勝利をすることにより君主権を伸長させた孫呉政権であったが、北来「名士」の中核である張昭との対峙性を孫權は抱え続けた。そこに、後継者問題である二宮事件が起こると、君主権力および「名士」層の双方が傷つけあい、孫呉の国力は消耗した。孫晧はあらゆる手段を使って君主権力の強大化に努めたが、西晉の攻撃により孫呉は滅亡したのである。
『大東文化大学漢学会誌』39,2000年3月,32~60頁