三国時代の「名士」層は、儒教に基づく人物評価を展開して「儒教国家」の価値観を確認する一方で、今文『尚書』の「五教在寛」に基づく「寛」治の尊重から『春秋左氏傳』の「寛猛相濟」に基づく「猛」政への移行により、弛緩した後漢の支配を建て直さんとしたのである。そして、その不可を知るや、「猛」政への展開の中で培った法知識に基づき、肉刑復活論や新律十八篇編纂の中核となって、曹魏政権の国家権力を強化していったのである。
『東方学』102,2001年7月,20~33頁