後漢「儒教国家」の崩壊、それに伴う社会の分権化傾向の中で、儒教は「封建」の解釈を展開した。後漢では勢力を抑制していた同姓諸侯を、春秋左氏傳を典拠に積極的に活用しようとしたのである。すなわち、同姓諸侯に軍事力と地方行政の裁量権を大幅に認め、皇帝権力を分権化することにより、国家権力の集権化に努めようとしたのである。それは、異姓の州牧が国家権力を分権化していくことへの対抗策であった。西晉の「封王の制」は、かかる「封建」の復権が生み出した統治手段なのであった。
『早稲田大学大学院文学研究科紀要』50-4,2005年2月,51~65頁